東京高等裁判所 昭和60年(う)1395号 判決 1988年5月10日
主文
本件各控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人芦田浩志ほか九名共同作成名義の控訴趣意書、及び検察官近藤幹雄作成名義の控訴趣意書にそれぞれ記載されているとおりであり、弁護人の控訴趣意に対する答弁は、検察官橋本昮作成名義の答弁書に、検察官の控訴趣意に対する答弁は、右各弁護人共同作成名義の答弁書(答弁書誤記訂正申立と題する書面を含む。)にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
そこで、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して、各控訴趣意について検討する。
なお、以下の記述においては、原判決の用いた略語、略称をそのまま用いることとする。
第一弁護人の控訴趣意に対する判断
一控訴趣意第一章(公訴権濫用に関する法令の解釈適用の誤りの主張)について
所論は要するに、本件公訴の提起は、事案が起訴相当ではないうえに、日教組のみを政治的に弾圧する目的のもとになされたもので、公訴権の濫用に当たるのに、このことを認めなかった原判決には、事実の誤認、法令の解釈適用の誤りがある、というのである。
しかし、原判決が、本件公訴の提起について、一見明らかに起訴猶予相当の事案とは認められないし、他の公務員組合のストライキの方が一見明らかに違法性が強いのに、殊更日教組関係を捜査・訴追の対象としたものとは認められないとしたのは正当であり、是認することができる。
本件ストライキが全一日に及ぶもので、埼教組の関係では、五二九校の小・中学校から、全一日を通して就業しなかった一七四四人を含め三五四三人もの教職員が参加するという相当に大規模なものであったことなどに徴すると、その委員長として、これをあおるなどしたとしてなされた被告人に対する本件公訴の提起に、検察官による著しい訴追裁量権の逸脱があったものとは認められない。
なお、本件につき公訴権の濫用を立証するとして弁護人が申請した所論の証拠を、原審が却下したからといって、その措置に審理不尽の違法があるとも認められない。従って、論旨は理由がない。
二控訴趣意第二章(憲法の解釈適用の誤りの主張)について
所論は多岐にわたるが、要するに、地公法三七条一項、六一条四号の各規定が憲法二八条、三一条、一八条、九八条二項等の各規定に違反するのに、原判決が地公法の右各規定を合憲と判断して、これを本件に適用したのは、憲法の解釈適用を誤っている、というのである。所論に即して、順次考察する。
1 地公法三七条一項と憲法二八条との関係について
地公法三七条一項が憲法二八条に違反しないとした原判決の結論は正当と認められるが、なお若干付言する。
(一) 地位の特殊性及び職務の公共性について
地方公務員も、自己の労務を提供することにより生活の資を得ている点において、その経済生活の実態は一般の勤労者と異なるところはないから、憲法二八条の労働基本権の保障は地方公務員にも及ぶものと解しなければならない。しかし、他面において、地方公務員は地方住民全体の奉仕者であり、これに対して労務提供義務を負うという特殊な地位にある。そして、右労務は、その内容が地方住民ないしは国民全体の共同利益につながる公共性を有するだけに、偏ったり滞ったりすることなく、常に安定した正常な状態のもとに、円滑に遂行されることが必要不可欠となる。従って、地方公務員が争議行為に及ぶことは、右のようなその地位の特殊性及び職務の公共性と相いれないばかりでなく、多かれ少なかれ職務の停廃をもたらし、その停廃は、地方住民ないしは国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、またはそのおそれを生じさせることになる。ここに、地方公務員の労働基本権が制約される基本的な根拠があるものといわねばならない。
(二) 勤務条件法定主義及び財政民主主義について
国家公務員について定められている憲法七三条四号の勤務条件法定主義及び同法八三条、八五条の財政民主主義の原理は、そのまま地方公務員にも妥当する。すなわち、地方公務員の給与その他の勤務条件は、地方公務員と地方公共団体当局との合意によって決定されるものではなく、地方住民の代表者をもって構成される議会において、十分に論議を尽くしたうえ、地公法二四条ないし二六条、一四条等の定める基準により、条例や予算の形で決定されるべきものである。この点において、地方公務員である教職員と、そうでない私立学校の教職員とは決定的に異なる。このことは憲法上の要請に基づくもので、国民主権の原理に由来する議会制民主主義の一つの表れとも解される。もっとも、勤労者の団結権、団体交渉権、争議権などの団体行動権の保障も、いま一つの憲法上の要請である。右の団体交渉権は、所論も主張するように、広くは、労使双方が勤務条件や労使関係のルール等につき、合意の形成を目的として行う折衝行為一般を指すものと解されるが、地公法三七条一項による争議行為の禁止との関係において、ここで論じられなければならないのは、労働者側である教職員と使用者側である地方公共団体当局との間に、勤務条件についての協約締結権ないしは共同決定権があるかどうかの点である。けだし、争議行為は、右の権利があってこそ、これを敢行する意味があり、その権利もないのに、争議権をうんぬんするのは意味をなさないからである。そして、このような協約締結権等を認めることは、前述した勤務条件法定主義等とは相いれず、両者は二律背反の関係に立つことになる。この両者の関係は、ともに憲法上の要請であることにかんがみ、国会の立法裁量によって調整し、併せて調和的な解釈を施して解決するのが相当ではないかと思われる。ところで、地方公務員が(一)で述べたように特殊な地位にあり、公共性のある職務に従事するものであることを基本にすえ、地方公務員の給与等の財源が、その地方の住民の税金等によってまかなわれていること、争議権を背景とする団体交渉が地方公共団体当局ひいては議会への有形、無形の圧力となって、勤務条件に関する審議や議決がゆがめられるおそれを否定し得ないことなどに徴すると、議会制民主主義の表れである勤務条件法定主義等を立て、後述する代償措置の誠実厳格な運用等によって、その協約締結権等を否定し、争議行為を禁止することも、決して根拠のないことではなく、合理的な解決の方法と考えられる。
(三) 代償措置について
地公法は、地方公務員の労働基本権が右のように制約されることに見合う代償措置として、各種の身分保障のほか、都道府県に人事委員会を置き(同法七条)、給料表に関する報告及び勧告の制度を定めている(同法二六条)。右の人事委員会は、国家公務員についての人事院と比較し、その組織及び職務権限に若干の問題がないわけではなく、また、地方公務員団体の参加が手続上保障されていないこと、右の勧告に拘束力がないことなども、一つの問題となり得よう。しかし、地方公務員の給与は、国の職員及び民間事業の従事者の給与を考慮して定めなければならない(同法二四条三項)とされていて、国家公務員のみならず、争議権の保障されている民間労働者の給与への配慮が義務づけられているのであるから、地方公務員についても、代償措置は、制度的にみて一応整備されているものということができる。
なお、右の代償措置は、地公法三七条一項が憲法二八条に違反しないことを支えている重要な制度であるから、運用に当たって当局が誠実厳格な努力をせず、その制度が本来の機能を果たさない事態に立ち至った場合には、一種の違憲状態を生じ、地方公務員がその正常な運用を求めて、争議行為に出ることが許容される場合もあり得ると考えられる。
2 地公法六一条四号の合憲性について
(一) 憲法二八条との関係について
憲法二八条による労働基本権の保障は、重要な基本的人権の一つであるから、争議行為に伴う刑事制裁が必要最小限にとどめられなければならないのは、所論が主張するとおりである。
しかし、地方公務員の争議行為が禁止されるのは、前述した理由、特にそれが地方公務員の地位の特殊性、職務の公共性に反し、地方住民ないしは国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼし、または及ぼすおそれがあるためであって、所論が主張するように、国民生活に重大な支障、とりわけ、その生命、身体に直接かつ現在の危険がある場合に限ってのみ、その争議行為が禁止されると解すべきものではない。ただ、憲法二八条との関係を考慮して、地公法は、争議行為に関与した者全員を処罰の対象とはせず、争議行為をあおるなどした者と、そうでない者とを区別し、前者についてのみ、それが争議行為の原動力をなし、社会的責任が重いとして、六一条四号による刑事制裁をもってのぞみ、後者については、単に懲戒等の民事制裁を科し得るにとどめているのである。
従って、右の規定が所論の刑事制裁必要最小限の原則に反するとはいえない。
(二) 憲法三一条との関係について
地公法六一条四号の「あおり」行為等の解釈については、後にも触れるが、所論が主張するように、右規定が多義的でし意的な解釈を許す余地があり、ひいては、争議行為に参加した者全員を処罰するに等しい結果をもたらすといった構成要件の不明確な規定であるとは認められない。争議行為の実態からみても、それに関与した者の中から、各人の関与の態様、地位、果たした役割等に照らして、その争議行為の原動力をなした者と、そうでない者とを分別することが、いう程に困難であるとは考えられない。
いずれにしても、右規定が、所論のように、罪刑法定主義の内容をなす保障的機能や予告的機能にもとり、あるいは刑罰謙抑主義に反するなどとはいえない。
(三) 憲法一八条との関係について
前述したように、地公法六一条四号は、争議行為に関与した者全員を処罰の対象とするものではなく、その中で当該争議行為をあおるなどした者の違法性が強いとみて、これのみを処罰の対象とするものであるから、刑罰による威嚇によって、地方公務員に労働を強制し、意に反する苦役に服させることにはならない。
従って、右規定が憲法一八条に違反するとはいえない。
3 地公法三七条一項、六一条四号と憲法九八条二項との関係について
ILOの条約勧告適用専門家委員会及び結社の自由委員会が、八七号条約に関する意見や報告等において、ストライキの禁止が許容される労働者は、公権力の機関として行動する公務員と、公共の困難を避けるために真に不可欠な業務に従事する労働者であり、教職は右の不可欠業務に当たらないこと、ストライキの禁止が許容される場合にはその代償措置として、適切、公平かつ迅速な調停及び仲裁の手続が設けられるとともに、その手続には当事者があらゆる段階で参画でき、しかもその裁定が当事者を拘束し、迅速、完全に実施されねばならないこと、ストライキに対する刑事罰は、結社の自由の諸原則と合致するストライキ禁止に違反する場合にのみ科せられるべきであり、なお拘禁刑は、平和的なストライキの場合には科せられるべきではないことなどの解釈を採っていることは、所論が主張するとおりである。
しかし、もともと八七号条約は、ストライキ権を取り扱うものではないとの了解のもとに採択されたものであって、この了解は現在に至るも変更されていない。事実、ILOが一九七八年に一五一号条約(日本は未批准)を採択するに当たって、八七号条約の規定に留意しながらも、ストライキ権に関する明文を置かなかったことなどは、この間の事情を物語っているといえよう。加盟各国の公務員制度は、それぞれの国情に応じて様々であり、右各委員会の解釈が、そのままILO全体を支配する統一的見解であるとは考えられない。のみならず、右各委員会の意見や報告等は、各国政府に対し、労働立法の整備や労働政策の是正等を要望する趣旨のものであって、そこで採られた条約の解釈は、公権的ないしは司法的解釈を示すものではなく、もとより各国裁判所の法令解釈を拘束する性質のものではない。
なお、結社の自由委員会は、本件ストライキに関し日教組等から申し立てられた第七九二号事件の第一八七次報告において、本件ストライキの要求事項の中には、賃金の大幅引き上げやインフレ対策等も含まれているが、そのストライキの主たる目的は、ストライキ権の回復にあったと思われるとしたうえで、本件のような場合に、地方公務員に対してストライキをあおり、そそのかす者を普通の法律に基づいて逮捕し、起訴することがあっても、それは結社の自由の原則の侵害とはならない旨の見解を述べている。同委員会は、かねてから、経済的利益の防衛のための手段として用いられる限りにおいてのみ、労働者のストライキ権が認められるとの見解を有しており、右報告はこの見解の表れといえる。そして、この見解は、その後同一事件について同委員会が行った第二四四次報告においても、撤回されているとは認められない。
前述したように、地公法三七条一項、六一条四号は、我が国の地方公務員の地位の特殊性、職務の公共性等に照らして、十分な根拠を持つものであり、また代償措置も一応整備されているといえるから、その各規定が前記各委員会の解釈と相いれないからといって、憲法九八条二項に違反するとはいえない。
4 適用違憲の主張について
(一) 代償措置との関係について
原判決も述べているように、人事院勧告はうよ曲折はあったものの、昭和四五年からは完全に実施されるようになり、本件前年の昭和四八年には、15.39パーセントの賃上げを四月一日にさかのぼって行うべき旨の勧告が出され、そのとおり実施されて、勧告の完全実施は軌道に乗り、一応定着した状態になっていたことが認められる。ところが、昭和四八年秋から翌四九年にかけて、急激な物価上昇に伴う異常インフレに見舞われ、実質賃金の低下をも来たしたため、人事院の意見、勧告等に従って、昭和四八年一二月には、臨時措置として、0.5箇月分の年度末手当の中から、0.3箇月分の繰り上げ支給が行われるとともに、その復元措置として、翌四九年四月には、改めて0.5箇月分の年度末手当の支給が行われ、更に同年六月には、一〇パーセントの引き上げを内容とする給与の暫定支給も行われた。なお、同年七月には、人事院から四月一日にさかのぼって、29.64パーセントの引き上げを行うべき旨の勧告がなされ、この勧告も完全に実施されている。地方公務員についての人事委員会の勧告やその実施状況も、以上と同様である。
右のように、人事院や人事委員会は、本件ストライキ前後の異常インフレによる実質賃金低下の事態に対しても、比較的迅速に対処し、国や地方公共団体もよくこれにこたえてきたものであって、種々の制約下にありながらも、当時、代償措置制度は十分に本来の機能を果たしていたものということができる。
もっとも、以上のような経緯については、所論も強調するように、公務員組合等がストライキを構えて政府側とねばり強く交渉を続けてきたという背景があることは否定できない。
しかし、だからといって、本件ストライキをそのゆえに適法なものと評価することはできない。のみならず、当時の両者間の問題は、賃金問題とストライキ権問題の二つにほぼ絞られていたと認められるが、賃金問題については、前述したように既に相応の是正がなされ、またそれまでの経過等からみても、同様の是正のなされることを十分に期待できる状況下にあったため、政府側との交渉は、主としてストライキ権にかかわる問題に重点を置いて行われていることが明らかであり、スト突入及びその終息に至る契機等からみても、代償措置が本来の機能を果たしていないことを理由に、その正常な運用を求めて、本件ストライキが敢行されたものとは認められない。
従って、本件に地公法六一条四号を適用したことが、憲法二八条に違反するとはいえない。
(二) 教職員の争議行為との関係について
義務教育は、憲法二六条の規定に徴しても、地方住民をも含めた国民全体の利益に深くかかわる点において、その公共性は一段と強く、常に正常かつ安定した状態のもとに、円滑に行われることが特に要請されているものといわねばならない。ストライキが人為的に職務の停廃をもたらし、右の公共性と相いれないものであることは明らかである。
もっとも、所論も強調しているように、年間の授業計画には、相当程度の余裕や柔軟性があって、一日程度の授業の遅れそれ自体は、その後の計画実施の段階で、回復が可能であるといえよう。
しかし、ここで論議されなければならないのは、人為的になされたストライキが、その時に各方面、特に児童、生徒や保護者に及ぼす精神的影響の問題であって、授業の遅れが取り戻せるか否かというような問題とは類を異にするものである。また、所論が同一視する自然的な風水害による臨時休校の場合などとは本質的に異なるものがある。すなわち、児童、生徒から指導者として尊敬され、保護者からも信頼されて、その教育を負託されている教職員が、異論はあるにせよ、法律のみならず、最高裁判所によっても違法とされているストライキに、たとえ一日でも、その職責を放てきして立ち上がることが、右の者らの精神面に好ましくない影響を与えることは明らかであり、ひいては教職員に対する不信感を招くよすがともなりかねない。またストライキが、職場に異常な緊張関係と混乱をもたらし、正常な学校運営を阻害するに至る点も、決して軽視し得ないところと思われる。所論は、教職員の勤務条件の改善が児童らに対する教育環境の改善につながるなどとも述べて、ストライキの必然性を強調するが、それらの改善が、ストライキのみによってしかなされ得ないものであるとは到底考えられない。
従って、地公法六一条四号の適用上、教職員のみを例外的に取り扱うことはできず、本件に右規定を適用したことが憲法二八条に違反するとはいえない。
(三) その他の問題について
本件ストライキ当時、政府、文部省が殊更に日教組を敵対視していたものとは認められず、日教組の代表もいわゆる中央交渉に参加していたことが明らかである。
また、文部大臣談話や閣議決定におけるストライキに対する制裁等の警告が、あながち不当であるとは認められない。
更に、当時、人事院勧告の制度が本来の機能を果たしていたことは、前述したとおりであり、紛争の解決に当たる第三者的な調停、仲裁機関がないからなどといって、本件について地公法三七条一項、六一条四号を適用したことが、憲法二八条、一三条、三一条等に違反するとは認められない。
5 結語
以上のとおりであって、所論はるる主張しているが、これらの所論にかんがみ検討してみても、地公法三七条一項、六一条四号の各規定が所論の憲法の各規定に違反しないと判断し、これを本件に適用した原判決に、憲法の解釈適用の誤りがあるものとは認められない。論旨は理由がない。
三控訴趣意第三章(事実誤認及び「あおり」の解釈適用の誤りの主張)について
所論は要するに、原判決は地公法六一条四号の「あおり」の解釈を誤り、ひいては事実を誤認して、「あおり」に当たらない行為に、右罰則を誤って適用している、というのである。順次考察する。
1 「あおり」の解釈について
地公法六一条四号所定の「あおり」とは、同法三七条一項前段に定める違法な行為を遂行させる目的をもって、他人に対しその行為を遂行する決意を生じさせるような、または既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることをいうのである。そして、この「あおり」は、将来における抽象的、不確定的な違法行為の遂行についてのそれではなく、具体的、現実的な違法行為の遂行に直接結びつき、違法行為遂行の具体的危険性を生じさせるおそれのあるそれを指すものと解される。従って、「あおり」が処罰されるのは、違法な行為の原動力となるもの、換言すれば、それがなくては違法な行為に至り得ないという程の強い意味をもつものとして、いわば全体としての違法行為の中で中核的地位を占めるものであることによるものである。本罰則の具体的適用に当たっては、右の処罰理由も十分に考慮されねばならない。原判決の「あおり」の解釈も、検察官の控訴趣旨に対する判断の項において後述するように、一部賛同し難い点があるとはいえ、基本的には以上と同旨の見解に立つものと解される。
所論は「あおり」が労働組合内部での通常の意思決定や伝達の方法を使って行われるいわゆる組織あおりに当たる場合を想定し、原判決のような解釈では、組織の下部にあって右の伝達のみに関与する者の処罰される範囲がいまだ明確でない旨主張する。
しかし、右は地公法六一条四号の罰則の構成要件的解釈というよりも、同罰則の具体的事件への適用の問題であって、右の下部の者が上部で決定され伝達された意思を、更にその下部の者に再伝達する行為であっても、その意思の内容、実体及び右の下部の者が持つ組織的統制力ないしは指導力、影響力等のいかんによっては、その伝達の行為が、更にその下部の者に対し勢いのある刺激となって、さきに述べた「あおり」の要件に当たると評価される場合もあり得るものと思われる。
2 事実の認定及び法的評価について
原審が取り調べた各証拠を総合すると、原判示の罪となるべき事実を認定するに十分であって、それが地公法六一条四号所定の「あおり」に当たるとした原判決の判断も正当として是認することができる。所論にかんがみ記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討してみても、原判決に事実の誤認や法令適用の誤りがあるものとは認められない。所論に即して、その理由を述べる。
(一) 本件に至る経過は、本論旨のみならず、以下その余の論旨を判断するうえでも重要であるので、関係証拠によって、まずこれを概観しておくこととする。
(1) 日教組は昭和四八年七月一〇日から一三日にかけて、第四三回定期大会(埼教組からは中央執行委員長の被告人ほか七名が出席)を開催し、七四春闘においては、「賃金大幅引き上げ、五段階賃金粉砕」「スト権奪還、処分阻止・撤回」「インフレ阻止・年金・教育をはじめとする国民的諸課題」の三大要求実現を目標として、その山場に官民一体となった全一日のストライキを組織する旨の運動方針を決定した後、同年中に全国委員長・書記長会議、全国戦術会議、中央委員会等(埼教組からも本部役員が出席)を開催して、その内容を順次具体化し、同年一二月二五日の中央執行委員会において、右の三大要求実現のため、春闘決戦段階の山場に第一波早朝二時間、第二波全一日の各ストライキを組織してたたかう旨の七四春闘方針案をまとめ、これを翌二六日付けの日教組教育新聞号外に掲載して全組合員に配布し、討議を呼びかけた。なお、その間の同年一〇月一二日に、七四春闘についての春闘共闘委員会が発足し、日教組も公務員共闘の一員として、これに加わった。
(2) 次いで日教組は、昭和四九年一月二九・三〇日に、第二回全国委員長・書記長会議(埼教組からは榎本昇一中央執行副委員長等が出席)を開催し、同年二月二五、二六日開催予定の第四四回臨時大会に提案すべき議案について討議した後、中央執行委員会を開催し、右議案として、前記の方針案に更に具体的なたたかいの進め方などを盛り込んだ七四春闘方針案を決定し、同年二月五日付けの日教組教育新聞号外にこれを掲載して、全組合員に配布した。
(3) 一方埼教組は、昭和四八年九月八日に第一二七回中央委員会を開催し、組合員に対して、七四春闘の意義と重要性を理解させるため、一二月下旬から一月にかけて、各支部ごとの学習会を用意することなどの方針を決定した後、同年一二月一九日に第一二八回中央委員会を開催し、三月中、下旬を見通してのたたかいの重点目標として、七四春闘の批准を成功させること、七四春闘体制確立のための具体的行動として、一月下旬から二月上旬にかけて支部(単組、分会を含む)ごとに、日教組、埼教組の討議資料を活用して、学習会を企画実践すること、二月の日教組臨時大会へ向けて、臨時中央委員会を開催し、同大会への意思統一をはかることなどを決定した。
(4) 右各決定に添って、学習会が開かれ、七四春闘のストライキに参加する組合員の意思が高められていく中で、埼教組は、日教組の第四四回臨時大会にのぞむ態度を決め、七四春闘に向けての組合員の意思集約をはかるため、議題を同春闘関係のみにしぼって、昭和四九年二月二〇日に第一二九回臨時中央委員会を開催し、具体的なたたかいの展開として、日教組臨時大会の決定によって定められる戦術を完全に行使すること、春闘山場のストライキを成功させるため、三月四日から一六日までの間に批准投票を行い、その批准を成立させることなどを決定するとともに、被告人を委員長とする中央闘争委員会を設置した。なお、右中央委員会においては、「わたくしたちは、本日の討議と集約された内容を基盤にして、全公務員労働者とともに、日教組大会決定による諸行動を完遂して、七四春闘をたたかうことをここに決議します。」との決議も採択された。
(5) 日教組は同年二月二五、二六日、第四四回臨時大会を開催し、埼教組からは右の臨時中央委員会で代議員として選出された被告人ほか七名が出席した。同臨時大会においては、前記の中央執行委員会によって決定された議案に基づき、七四春闘についての具体的なたたかいの進め方について審議し、「賃金の大幅引き上げ、五段階賃金粉砕」「スト権奪還、処分阻止」「インフレ阻止、年金・教育をはじめとする国民的諸課題」の三大要求を実現するため、春闘共闘、公務員共闘の統一闘争として、春闘決戦段階の山場に、第一波早朝二時間、第二波全一日の各ストライキを行うこと、そのための手だてとして、右闘争に関する全組合員への指令権は、本大会の決定によって、各県教組委員長から日教組中央闘争委員長に委譲されたものとし、組合員は同委員長の指令によって行動すること、各県教組は、三月四日から一七日までの間に郡市単位の全員集会を開いて、全組合員による批准投票を行い、同月一八日までにその結果を集約して本部に報告すること、日教組は三月一九日に全国戦術会議を開催し、その確認を経て、本部が指令権を発動すること、各県教組のスト突入体制は、全組合員投票の結果、構成員の過半数の賛成によって確立したものとすること、各県教組は投票完了までオルグ活動等を通じて、右突入体制の確立に全努力を払うことなどが決定された。
(6) 埼教組は、批准の成立を目ざして、更に学習会等を重ねたうえ、同年三月四日から一六日までの間に、支部もしくは単組単位で批准投票集会を開催し、四月中旬の春闘決戦段階に、第一波早朝二時間、第二波全一日の各ストライキを行うとの右臨時大会の決定を支持するか否かにつき批准投票を行い、同月一七日の中央闘争委員会において、その投票結果を集約したところ、約六一パーセントの賛成があったため、埼教組のスト突入体制が確立されたことになり、このことを埼教組から日教組本部に報告した。
(7) 日教組は同年三月一九日に第五回全国戦術会議(埼教組からは榎本中央執行副委員長が出席)を開催し、戦術行使の期日を四月一一日全一日、同月一三日早朝二時間と予定しているが、その期日は、最終的には三月二七日に開催予定の春闘共闘委員会で決定される旨発表するとともに、中小路清雄書記長が各県教組の批准率を読み上げ、続いて槇枝元文中央闘争委員長が批准の成立した各県教組名を逐一確認し、この確認をもって、批准が過半数に達した各県教組に対して、右戦術行使の指令権が発動されたこととした。
(8) 埼教組は翌三月二〇日に、第一三〇回中央委員会を開催し、榎本中央執行副委員長において、出席した中央委員らに対し、ストライキの日取りが四月一一日に全一日、四月一三日に早朝二時間に予定されたことを告げ、「埼教組も六〇パーセントの賛成を得てストライキの批准に成功したから、ストライキを成功させるよう努力しましょう。」などと述べた後、議案の審議に入り、たたかいの具体的展開として、「校区内対話集会を企画して、ストライキに対する理解を深めるようにすること」「四月第二波早朝二時間のストライキ開始前に、ストライキ参加者を含めて全員早朝集会に参加すること」「三月二九日に拡大戦術会議を開き、全一日ストライキに対する確認を行い、その行動の取り方について意思統一を行うこと」などを決定した。
(9) ところで、同年三月二七日に予定されていた春闘共闘委員会によるストライキ予定日の決定が同月二九日に延期されたため、日教組は同月二八日、「四月中旬のゼネスト決行日は、二七日決定することになっていたが、春闘共闘委の情勢判断の結果、二九日に決定されることになった。決定次第直ちに電報で連絡する。各県組は闘争体制強化に更に努力されたい。」旨を埼教組その他の各県教組に電報で通知した。
(10) 同月二九日、春闘共闘委員会は、東京都港区内の芝パークホテルで最高指導委員会及び戦術委員会を続いて開き、四月八日から一四日の間を統一行動日としてゼネストを行う旨決定し、これを受けて公務員共闘も同ホテル内で直ちに戦術会議を開き、四月一一日第一波全一日、四月一三日第二波早朝二時間のストライキを配置することを決定した。そして、右の戦術会議に出席していた日教組の中小路書記長は、同ホテルから直ちに日教組の本部に電話をかけ、本部に待機していた日教組中央闘争委員に、ストライキ配置の日取りが右のとおり決定した旨連絡した。そして、日教組本部から各県教組に対し、「春闘共闘戦術会議の決定を受け、公務員共闘は四月一一日第一波全一日ストライキ、四月一三日第二波ストライキを配置することを決定した。各組織は闘争体制確立に全力をあげよ。なお各大学教組にも連絡されたし。」との趣旨の電話(いわゆる三・二九電話)及び電報(いわゆる三・二九電報)が伝達された。そして埼教組においては、当日(三月二九日)午後三時前ころから、本件「あおり」の場とされている第五回拡大戦術会議(以下「五拡戦」という。)が開催され、支部、単組から役員約六五名が出席した。
なお、所論は、右(7)の第五回全国戦術会議において、日教組が、ストライキ実施日の最終決定は春闘共闘委員会の最終決定を待って決定する旨発表し、更に右(9)に関して、同委員会によるストライキ実施日の最終決定が三月二九日に延期されたため、日教組もこれにあわせて、その最終決定を行うこととした旨の原判決の事実認定には誤りがあり、右はいずれも同委員会の方でスト実施日が正式に決まったら、それを各県教組にも連絡するという趣旨のものであって、日教組自体がそのような決定をするというようなものではないと主張する。
しかし、右(5)からも明らかなように、もともと日教組は、春闘共闘、公務員共闘による統一闘争として、ストライキを行う旨の組織決定をしているのであるから、その都度改めて中央闘争委員会等において決定の手続をとらなかったからといって、決定がなかったことにはならず、原判決の右認定があながち誤っているとはいえない。
(二) いわゆる三・二九電話及び電報の性質について
所論は(10)の電話は、その電報と同趣旨のものであって、春闘共闘委員会及び公務員共闘がストの日取りを決定したことを、日教組が各県教組宛に伝える日取りの連絡に過ぎないものであって、一般組合員に対してストライキへの参加を要請する指令の実質を持つものではない旨主張する。
たしかに、前述したように、学習会等を通じて、埼教組傘下の一般組合員のストライキ参加への意思は高まっていたうえに、埼教組の第一二九回臨時中央委員会、日教組の第四四回臨時大会、埼教組における批准の成立、日教組の第五回戦術会議等を経て、埼教組においてもストライキ突入体制が確立し、日教組の槇枝中央闘争委員長の戦術行使に関する指令権が発動されたこととされていたことは、所論のいうとおりである。
しかし、右の指令権が発動されたといっても、それは一種の擬制であり、その時点では、いまだ政府との中央交渉が活発に行われており、ストライキの日取りも確定していなかったから、右の日取りが最終的に確定し、かつ、それが傘下の組合員に伝達されない限り、その内容は非現実的で不完全であるといわねばならない。他方、批准が成立し、埼教組のストライキ突入体制が確立されたといっても、もとよりそれだけでストライキに突入できるわけではなく、現実にストライキに突入するためには、突入に踏み切らせる何らかの契機がなければならない。そして右の三・二九電話は、ストライキの日取りが確定したことを、各県教組を通じ組合員に伝達することによって、それまで非現実的で不完全であった指令の内容を、現実的で完全なものとし、かつ、組合員にストライキ突入への契機を与えるものとして、ストライキ突入指令の実質を有するものというべきである。事実、三・二九電報には、「各組織は闘争体制確立に全力をあげよ。」との明らかに命令的口調の文言も含まれているのである。そして、ほかならぬ日教組発行の日教組教育新聞が、三月二二日付け(符76)で第五回全国戦術会議のことに触れ、「ストの具体的な突入日については、三月二七日予定の春闘共闘戦術委員会の決定を受けて、中央闘争委員会が各県に指令することになった。」旨、更に同月二九日付け(号外、符94)及び四月二日付け(符93)で、「春闘共闘委の戦術決定を受け、日教組は四月一一日に全一日ストライキ、一三日に早朝二時間のストライキを決め、全国に指令した。」旨をそれぞれ報じている。これらのことは、三・二九電話及び電報が、ストライキ突入指令の実質を有するものであることを如実に裏付けているものということができる。
(三) いわゆる三・二九電話が埼教組に入った時刻について
所論は、埼教組の五拡戦が開始される際には、まだ日教組からの右電話は入っていなかったので、原判示のように、榎本昇一が「日教組からスト決行日を四月一一日全一日に決定するという指令が来たので、ストの決行日が正式に決まった。」などと発言したことはない旨主張する。
しかし、小島富士子は検察官に対する供述調書において、明確に榎本の右発言の事実を肯定しているし、原審証言においても、榎本から「日教組から連絡があった。」との話を聞いた記憶がある旨、日教組からスト決行に関する何らかの伝達があったことをうかがわせる供述をしている。
これに対し、榎本は原当審証言において、当日、第五回拡大戦術会議と題する議案書(符98と同一)を作成するに当たって、正午ころ、個人的に親しい日教組本部中央闘争委員の今村彰に電話して、スト実施期日を非公式に確かめたことはあるが、本部から三・二九電話が入ったのは、会議中の午後四時ころのことであって、このことはその際誰にも告げず、出席していた支部、単組の役員にも、ストの日取りは議案書のとおりで動かないとだけしか話していない旨供述し、中小路清雄、今村彰らの日教組本部役員及び五拡戦に出席した小島以外の埼教組関係者らも、原審または当審証言において、これに添う供述をしている。
よって検討するに、中小路の原審証言によると、当日は各県教組とも日教組本部からのスト決行期日に関する正式連絡を待機している状況にあったことが認められる。埼教組としても、もともと三月二七日に本部から右の連絡があるとの予定にあわせて、同月二九日に五拡戦を招集していたが、右連絡がまさに当日の二九日に延期されただけに、同様の状況にあったといえよう。だからこそ、日教組としても、各県教組に対して、スト決行期日等を電報で連絡する前に、まず一斉に電話で連絡したものと認められる。そうでないと、電報のほかにわざわざ電話をする意味がない。しかも、中小路の原審証言によると、右の各県教組に対する電話には相当の時間がかかるとのことであり、このことに、符126の電信文によって認められるその発信時刻が午後四時一分になっていることを考え併せると、埼教組にその電話の入ったのが、五拡戦の始まる午後三時前であるとの推認も十分に成り立つものと思われる。
もっとも、中小路は原審証言において、当日午後二時ころから三時半ないし四時ころまで開かれていた春闘共闘委員会及び公務員共闘の戦術委員会等に出席し、それが終ってから、本部にスト期日の正式決定があったことを連絡した旨供述しているが、公刊されている資料労働運動史昭和四九年版の抄本によると、春闘共闘委員会の戦術委員会は当日正午から開かれたとされており、その開始時刻に二時間もの差があることからみても、にわかに措信できない。
また、榎本が前記議案書にスト決行期日を記入するに当たって、前記今村にこれを照会したのが事実であるとしても、ストの決行期日は五拡戦における最重要事項であり、これに関する日教組本部からの正式連絡もないままに、とりあえず会議が進められたとか、本部から入った三・二九電話のことを誰にも言わなかったとかというような榎本の供述は、同人のおかれていた当時の状況に照らしてもにわかに信用することができない。
(四) 榎本のその他の発言について
所論は、榎本が五拡戦の席上において、原判示のように、「公務員共闘の行動と団結し、日教組は第一波、第二波のストライキを行う。埼教組も日教組の統一ストの中でストライキを成功裡に行わなければならない。」と発言したこともない旨主張する。
しかし、小島富士子は検察官に対する供述調書において、榎本の右発言の事実をも明確に肯定している。前述したように、既に三・二九電話が埼教組本部に入っているとみられる状況下で、榎本が協議事項の説明に関連して、このような発言をしたとしても、同人の中央執行副委員長兼書記長としての立場からみて、決して不思議なことではなく、このような発言もないままに、事務的にたんたんと協議事項の説明に終始したという方が、むしろ不自然であるといえよう。
(五) 組合員のとるべき方法の指示について
所論は、榎本が五拡戦において、出席していた支部、単組の役員に対し、原判示のように、同盟罷業当日におけるストライキ集会の組織やそれへの参加方法、支部と単組間及び組合員への連絡方法をあらかじめ確定しておくこと、並びにストライキ解除の連絡方法等の同盟罷業に際して組合員のとるべき行動を指示したことはなく、ただこれらの事項を右出席者と協議したことがあるに過ぎない旨主張する。
たしかに、前記議案書によよば、右事項は協議事項となっており、指示事項とはなっていないが、その内容は明らかに傘下の支部、単組、分会、ひいてはこれを構成する組合員がストライキに際してとるべき行動に関するものである。そして、実際の会議の進行をみると、出席者から左程多くの質疑も出ないまま、榎本によるほとんど一方的でいわば上意下達式の説明に終始する状況にあったとうかがわれることに徴すると、右の協議なるものの実質は、やはり原判示のとおり指示であったと認定するのが相当である。
(六) 指令、指示の伝達について
所論は、以上の指令及び指示が傘下の組合員に伝達されたことはない旨主張する。
しかし、前述したように、三・二九電話によるスト突入指令が五拡戦の席上で出席者に伝達されたことは明らかである。そして、右指令及び同じ席上でなされた右指示の趣旨が、その出席者を通じ、所属する当該組織の各種会合における報告により、あるいはこれらの組織が発行する情宣紙等によって、その組織の実情に応じた形で、傘下の組合員に伝達されたことも明らかである。
(七) 小島富士子の検察官調書の信用性について
所論はるる主張して、右検察官調書の信用性を弾劾する。
しかし、原判決も述べているように、小島は組合役員の経験も豊富で、埼教組の婦人部長や書記次長の要職にも就き、本部の専従までしていた経歴を有する人物である。しかも小島は、五拡戦の会議には川越市教組の代表として出席したもので、会議終了後には市教組や分会等で、会議の結果を報告しなければならない立場にあったのであるから、会議における重要事項についてはよく記憶していたものと思われる。そして、その取調べが行われたのも、同女の叔父宅という場所であって、殊更に偽りの供述を強いられるような特段の事情があったものとは認められない。
もっとも、同女の供述を個々的にみると、例えば、五拡戦に出席していなかった高柳美智子書記次長がこれに出席していたとし、更に全県一斉の職場集会は決定されなかったのに、これに結び付けて、榎本が五拡戦の席上において、戦術方針の伝達を指示したと供述するなど、思い違いないしは取調べ検察官の手持資料に引きずられたと思われることによる誤りがないわけではない。しかし、これらは、全体的にみると僅かな部分であって、そのために小島の供述全般の信用性が減殺される程に致命的なものとは認められない。
特に、本件で問題となっている前述した榎本の発言などは、むしろない方が不自然とさえ思われるところであって、これに関する同女の供述は、当時の状況をよく伝えているものとして、信用性が高いと認められる。なお、同女が所属する単組での執行委員会等の議案書に、右榎本の発言趣旨が記載されていなかったからといって、そのことは、右の判断に影響を及ぼす程のことではない。
そして、原判決も述べているように、同調書の作成されたのが、本件犯行から四〇日もたっていない時期であることなどをも考え併せると、同女の供述は全体として十分の信用に値するものと認められ、石塚雄康の当審証言その他の関係証拠をもってしても、右の信用性を左右することはできない。
(八) 本件への地公法六一条四号の適用について
所論は、埼教組には、組合員の自主性を尊重して、ストライキに参加するしないをその自由意思にまかせ、不参加者に対して統制違反を問わないといういわゆる認め合いの慣行があること、組合員のスト参加の意思は、遅くとも批准が成立した三月一六日の時点では確定していたうえに、批准の成立した埼教組に対しては、同月一九日に、日教組中央闘争委員長の指令権も発動されていたから、組合員としても、中止されない限りストは実施されるものと認識し、新たな指導行為を意に介していなかったこと、本件当時には、政府との中央交渉が活発に行われており、要求事項についての前進的回答が期待される状況にあったから、本件あおりのような行為があったとしても、ストライキの具体的危険性を生ぜしめるものではなかったことなどを挙げて、地公法六一条四号の本件への適用を争う。
しかし、前述したように、三・二九電話が実質的にみてスト突入指令であり、榎本が五拡戦の席上で、支部、単組の役員にこれを伝達するとともに、「埼教組も日教組の統一ストの中でストライキを成功裡に行わなければならない。」などと呼びかけたうえ、そのストライキに際して組合員のとるべき行動を指示し、その出席者を介して、右指令及び指示の趣旨を傘下の組合員に伝達したことは、組合員にストライキをさせる目的をもって、右出席者を含む傘下の組合員に対して、四月一一日に埼教組も全一日のストライキを行うことがいよいよ本決まりになり、これに伴う細部の手だても講じられて、まさに臨戦状態に入ったことを周知徹底させ、その組織的統制力、指導力、影響力等を背景に、ストライキへの参加をしょうようするものであって、その行為が右組合員に当該ストライキ参加への決意を生じさせ、または既に生じているその決意を助長させるような勢いのある刺激として、右ストライキに直接結びつき、その具体的危険性を生ぜしめるものであることは明らかというべく、そのまま当日のストライキに突入していることからみても、その行為は同ストライキの原動力をなしたものと評価し得るものであって、地公法六一条四号の「あおり」に当たる。
いわゆる認め合いの慣行があり、スト不参加者に統制違反による不利益処分などを科さないからといって、埼教組としても、組織の結束を固め、活力を保持していくためには、できるだけ多くの者に参加を要請するのは必然であろうし、組合員としても、組織を通じての要請があれば、全くこれを無視することはできず、それによって心理的な刺激を受けることは否定できないところと思われる。また、批准が求められたのは、前述したように、ストライキを行うとの日教組第四四回臨時大会の決定を支持するか否かについてであり、賛成票を投じた者が、即ストライキに参加するという訳のものではない。事実、それまでの実績をみても、批准率とスト参加者率との間には相当の差がある。原判決も述べているように、ストライキについての組合員の意識は様々であって、批准が成立しさえすれば、日教組及び埼教組本部の意向とは無関係にストライキが実施され、組合員が参加していくというようなものではなく、そのためにはやはり、これらの組合員をとりまとめてストライキに向かわせるに足りる組合幹部の指導としょうよう行為がなければならず、組合員もこのことを十分に認識していたと思われる。なお、当時の中央情勢が、必ずしも所論のような状況にあったものとは認められず、本件所為がストライキの具体的危険性を生じさせるものではなかったなどとはいえない。
(九) 共謀について
所論は、被告人が本件「あおり」を共謀した事実はない旨主張するが、埼教組書記長の榎本が五拡戦の開始前に、槇枝ら日教組本部役員の協議を経て発出された三・二九指令を受け入れ、五拡戦の席上において、出席した支部、単組の役員に対し、これを伝達するとともに、あらかじめ作成した前記議案書に基づき、同盟罷業に際して組合員のとるべき行動を指示したこと、被告人が埼教組の委員長で、その他の埼教組本部役員らも列席した五拡戦の議長をつとめた者であり、榎本から右指令や議案書の内容を知らされず、これを了承することもないままに、議事の進行に当たったものとは到底考えられないことなどを総合すると、少なくとも五拡戦の現場においては、以上の日教組及び埼教組本部役員ら全員の間に、本件「あおり」についての共謀が成立していた事実を優に肯認することができる。
3 結語
以上の次第であって、この点に関する所論はいずれも採用することができず、論旨は理由がない。なお原判決の「あおり」の解釈には、検察官の控訴趣意に関連して後に述べるように誤りがあるが判決に影響を及ぼすものではない。
四控訴趣意第四章(可罰的違法性に関する事実誤認と法令適用の誤りの主張)について
所論は要するに、被告人の行為が地公法六一条四号の構成要件に該当するとしても、「あおり」の対象となった本件ストライキの目的の正当性、手段、態様の相当性、結果の軽微性、及び「あおり」行為自体による影響の微弱性等を総合すると、被告人の行為には可罰的違法性がないのに、このことを認めなかった原判決には、事実の誤認及び法令適用の誤りがある、というのである。
しかし、原判決がその説示する理由により、被告人の本件行為に可罰的違法性がないとはいえないとした判断は正当であって、事実の誤認や法令適用の誤りがあるとは認められない。
なお、可罰的違法性の有無にかかわる諸事情の多くは、これまでの論旨に対する判断において、その都度言及し、更に後述する検察官の控訴趣意中の量刑不当の論旨に対する判断においても言及することとなるので、本項においては、所論が特に強調する被告人の行為自体の可罰的違法性の有無につき若干付言する。
しかるところ、所論は、本件一日ストは、すべて日教組の企画、立案、指示のもとに行われたもので、埼教組本部としては、日教組と単組、分会の活動を通じてスト参加の決意を固めていた傘下組合員との間の連絡、調整的機能を果たしたに過ぎず、しかも埼教組にいわゆる認め合いの慣行があるため、被告人の本件行為もさまで強い原動力を持つものではなかったなどと述べ、被告人の行為には可罰的違法性がない旨主張する。
しかし、日教組としても、決して独断で本件ストを企画、立案、指示したものではなく、大会、中央委員会その他の会議において、下部組織の意見をも集約しつつ、ストライキ実施の方針を具体化し、その指令を発するに至ったものであり、埼教組もその都度代表者を送り込んで右の具体化に関与してきたものであることは、前述した本件の経過に照らしても明らかである。
また、単組、分会の活動を通じて、傘下組合員のストライキ参加の意思が高揚していたのが事実であるとしても、それについては、埼教組からの中央情勢等の伝達、機関紙による情宣活動等も少なからず寄与していた事実も否めないところである。
更に、埼教組に認め合いの慣行があるからといって、組織の結束を固め活力を保持していくためには、少しでも多くの者にストライキ参加をしょうようすることは必然の要請と思われる。事実、埼教組の第三七回定期大会の議案書(符56)にも、前年である昭和四八年四月の半日ストライキについての反省として、「ストライキ参加者が組織人員の半数以下であったことは、組織の欠陥を示したものであり、引き続き今後の課題として残されました。」との記載が見受けられる。いずれにしても、被告人のストライキ参加へのしょうようによって、人員的にみれば、三五四三人もの多数の者が本件ストに参加しており、これにつき果たした被告人の原動力的役割は決して過少に評価すべきものではない。
従って、右主張は採用することができず、論旨はすべて理由がない。
第二検察官の控訴趣意について
一控訴趣意第一(事実誤認の主張)及び第二(法令の解釈適用の誤りの主張)について
各所論は要するに、公訴事実第一の「あおりの企て」を認めなかった原判決は、事実を誤認し、かつ、地公法六一条四号の「あおり」及び「あおりの企て」の解釈適用を誤っている、というのである。
まず、検察官が「あおりの企て」に当たると主張しているのは、被告人が槇枝元文ら日教組本部役員及び埼教組本部役員らと共謀のうえ、昭和四九年三月二〇日開催の埼教組第一三〇回中央委員会の席上において、日教組第五回戦術会議の決定を受け、公務員共闘の統一闘争として、傘下組合員である公立小・中学校の教職員をして、同月四月一一日第一波全一日、同月一三日第二波早朝二時間の各同盟罷業を行わせること、及び同盟罷業実施体制確立のための具体的行動をそれぞれ決定したというものである。所論の当否を順次検討する。
1 事実認定について
(一) 傘下組合員をして同盟罷業を行わせることの決定について
所論は、埼教組の第一三〇回中央委員会が開催されるまでの段階においては、いまだ埼教組において、ストライキを実施する旨の確定的決定がなされておらず、またスト突入体制も確立していなかったから、同委員会を開催し、傘下組合員をして同盟罷業を行わせる旨の決定をすることが必然的に要請されていたものであり、かつ、右決定がなされたことは、同委員会の議案書(符88ないし92)の記載からも裏付けられていること、更に、同委員会の席上で埼教組中央執行副委員長の榎本昇一が行った「埼教組も六〇パーセントの賛成を得てストライキの批准に成功した。従って、埼教組は日教組の戦術会議の決定に従い、ストライキを成功させるよう努力しよう。」などとの発言(以下「榎本発言」という。)も、右決定についての口頭提案とみられることなどを挙げて、同委員会において、そもそもこのような決定がなされたものとは認められないとした原判決は事実を誤認している、と主張する。
よって検討するに、埼教組第一三〇回中央委員会に至るまでの経過は、第一、三、2、(一)に既述したとおりであって、埼教組においては、既に同年二月二〇日開催の第一二九回臨時中央委員会において、日教組第四四回臨時大会にのぞむ態度を決めるため、議題を春闘関係のみにしぼって協議のうえ、春闘山場の統一ストライキ、すなわち四月上旬第一波早朝二時間、第二波全一日のストライキについては、右臨時大会の決定に基づく戦術を完全に行使することなどを決定し、なおその際「わたくしたちは、(中略)、日教組大会決定による諸行動を完遂して、七四春闘をたたかうことをここに決議します。」との決議もなされている。次いで、同年二月二五、二六日開催の日教組第四四回臨時大会において、右ストライキの戦術については、その指令権が各県教組の委員長から日教組の中央闘争委員長に委譲されたものとすること、各県教組で批准投票を行い、全国戦術会議の確認を経て、本部が指令権を発動すること、批准の成立によって当該県教組のスト突入体制が確立したものとすること、などが決定されている。そして、その後埼教組においても、全組合員による批准投票が行われ、約六一パーセントの賛成票を得て批准が成立した結果、埼教組のスト突入体制が確立されたことになり、同年三月一九日開催の日教組第五回戦術会議での確認を経て、埼教組を含め批准の成立した各県教組に対し、日教組中央闘争委員長槇枝元文のスト指令権が発動された。その翌日の同月二〇日に、埼教組の第一三〇回中央委員会が開催されている。なお、同委員会は定例の中央委員会であり、春闘関係だけでなく、予算その他の一般的案件をも審議することを目的として開催されたものである。
右によると、たしかに、埼教組の第一二九回臨時中央委員会が開催された同年二月二〇日の時点においては、埼教組のスト実施の方針は未確定であったといえようが、その後の事態は、同委員会で従うことを決定決議した日教組第四四回臨時大会の決定どおりに推移し、批准投票によって改めて組合員の総意が確かめられたうえ、同年三月一九日の時点においては、スト突入体制が確立されたものとして、ともかくも日教組の槇枝中央闘争委員長のスト突入指令も発せられた形となっているのである。このような状況の下で、翌日である三月二〇日の第一三〇回中央委員会において、日教組の下部組織である埼教組本部が、改めて傘下組合員に同盟罷業を行わせることを決定する必要があるとして、その旨の提案をすることは、屋上に屋を架するに似ているうえに、もしそれが否決されれば、上部の指令に反し、組合員の総意にももとる結果となる点からも、にわかに考えられないことである。もっとも、埼教組第一二九回臨時中央委員会の議案書(符57の4)中には、「四月の春闘山場の統一ストライキについては、日教組臨時大会決定にもとずいて決定した戦術を完全に行使します。」との記載があり、所論はこの記載自体からも、埼教組自身が改めてスト実施を確定的に決定することが予定されていたと主張する。しかし、右記載は、所論の趣旨とは思われないし、これを同臨時大会の議案書(符70)と併せて読めば、それは、右臨時大会の決定に基づいて、日教組の全国戦術会議が決定した戦術を完全に行使する、との趣旨であることが明らかである。
また、埼教組第一三〇回中央委員会の議案書中に、同中央委員会の任務として「第一二九回臨時中央委員会決定の再確認と四月、五月における具体的行動を決定確認すること。」との記載があるところ、所論は、右前段の「第一二九回臨時中央委員会決定の再確認」との記載は、埼教組が第一二九回臨時中央委員会で打ち出した方針を、第一三〇回中央委員会において改めて確認し、スト実施を確定的に決定することを意味する旨主張する。そこで、右議案書をみると、第一号議案として「当面の闘争推進に関する件」が提案されており、それは更に、「経過と情勢の概要」、「本中央委員会の任務」、「たたかいの重点と目標」、「たたかいの具体的展開」という四項に分かれている。これらの記載によると、議決の対象となっていたのは、最後の「たたかいの具体的展開」の項だけで、その前の「たたかいの重点と目標」は、いわばその提案理由に相当するものと認められ、所論が問題にしている「本中央委員会の任務」の項も議決の対象になっていたものとは認められない。すなわち、同項は、第一三〇回中央委員会を開催した趣旨、目的というべきものであって、前段の「第一二九回臨時中央委員会決定の再確認」という記載は、右中央委員会で従うことを決定した日教組第四四回臨時大会の議決どおりに事態が推移し、スト突入体制も確立された事実を再認識するといった意味合いのものであろう。いずれにしても、本議案書から、埼教組の第一三〇回中央委員会において、改めて傘下組合員に同盟罷業を行わせ、スト実施を確定的に決定すべきことが審議、議決の対象になっていたものとは認められないし、またそのような決定がなければ、「本委員会の任務」の項の後段にある「四月、五月における具体的行動を決定確認すること」ができないものとも解されない。
更に小島富士子の検察官に対する供述調書によると、所論の榎本発言が存在した事実が認められるけれども、前述した埼教組第一三〇回中央委員会当時の状況、及び榎本の中央執行副委員長という埼教組における地位等からみて、前述したところと同一の理由により、その発言が傘下組合員に同盟罷業を行わせる決定をなすことの口頭提案であったとは認められない。
もっとも、右小島の検察官調書によると、榎本副委員長が同委員会の席上において、「日教組は春闘共闘委員会の行動にあわせ、四月一一日全一日ストを、四月一三日早朝二時間ストを構える予定である。」旨を発言した事実が認められるところ、先の批准投票においては、四月中旬第一波早朝二時間、第二波全一日のストライキについての賛否が問われていたから、一種のスト戦術の変更が行われたことになり、従って、埼教組としても、右の変更されたところに従って、改めてスト実施の賛否を問う採決を要すると解される余地がないわけではない。しかし、右の変更といっても、とるべき戦術の内容が早朝二時間スト及び全一日ストであることには変りがなく、いわばその先後が逆転したに過ぎないものである。もともと本件ストライキは、春闘共闘、公務員共闘の統一闘争として行うことが決定されたものであり、これらの組織との横並びの関係上、この程度の変更は予測し得べきものであったとも考えられること、上部の日教組においても、中央闘争委員会の諮問機関に過ぎない全国戦術会議において、その変更が行われていることなどに徴すると、埼教組において、この程度の変更につき、逐一決議機関による採決を要するものとは考えられない。
以上の次第であって、埼教組第一三〇回中央委員会において、傘下組合員をして同盟罷業を行わせる旨の決定がなされることが必然の要請であったなどとはいえず、そもそも議案書にも明定されていないような右決定がなされたと認むべき事情は存在しない。
従って、右決定の存在を否定した原判決は正当であり、所論にかんがみ記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討してみても、この点に関する原判決の事実認定に誤りがあるとはいえない。
(二) 同盟罷業実施体制確立のための具体的行動の決定について
右の具体的行動とは、原審検察官の冒頭陳述によると、(1)校区内対話集会の開催、(2)全県一斉職場集会の開催、(3)ストライキ当日における早朝集会への参加、(4)本部における戦術会議の開催、(5)ストライキ前日からの連絡網体制の確立等を指すところ、所論は、そのうち(2)の全県一斉職場集会の開催が決定されたことはないとの原判決の事実認定は誤っている、と主張する。
よって検討するに、たしかに、榎本昇一その他の関係者の原審もしくは当審における各証言中には、原判決の右認定に添う部分がある。しかし、押収してある第一三〇回中央委員会の議案書(符88ないし92)の中には、削除や加筆などのあるものもあるのに、右集会に関する事項の記載部分については、そろって削除も訂正もされることなく、そのまま残されており、また榎本が作成し、右委員会当日出席の中央委員に配付した「七四春闘、当面の日程」と題する書面(当庁昭和六〇年押第四五九号の四五六)にも、四月三日の項に「一斉職場集会」の記載があり、これらの諸点に右関係者の証言をも総合すると、職場集会を全県一斉の形で行うことは、各地の実情に合わないとの理由から、各地の実情に即した形で同集会を開催することとなり、その限度で提案は維持されたものと認められる。従って、原判決の右認定には事実の誤認があるといわねばならない。
2 「あおり」及び「あおりの企て」の解釈について
地公法六一条四号の「あおり」についての当裁判所の見解は、前記第一、三、1に既述したとおりである。また、同号所定の「あおりの企て」とは、、同法三七条一項前段に定める違法な行為を遂行させる目的をもって、その遂行をあおることを計画準備することである。そして、この「あおりの企て」も、「あおり」と同様に、「あおり」を通じて具体的、現実的な違法行為の遂行に直接結びつき、違法行為遂行の具体的危険性を生じさせるおそれのあるそれをさすものと解される。従って、「あおりの企て」が処罰される理由も「あおり」について記述したところと同様である。所論の引用する最高裁判所昭和四八年四月二五日言渡の全農林事件判決、及び昭和五一年五月二一日言渡の岩教組事件判決が、いずれも「あおり」等についての一般的定義を示したうえ、前者の判決が、「あおりの企て」について「違法行為発生の危険性が具体的に生じたと認められる状態に達したものをいうと解するのが相当である。」旨、また後者の判決が「あおり等の行為は、将来における抽象的、不確定的な争議行為についてのそれではなく、具体的、現実的な争議行為に直接結びつき、このような争議行為の具体的危険性を生ぜしめるそれを指す。」旨、明確に判示しているのは、右に当裁判所の見解として記述したような意味での違法行為との密接性を、「あおり」「あおりの企て」の成立要件としていることが明らかであって、これらの判示が、所論のように、単に将来における抽象的、不確定的な争議行為についての「あおり」「あおりの企て」を処罰の対象から除外する趣旨のみでなされたものとはみられない。ただ所論も主張するように、原判決が、「あおりの企て」が「あおり」よりも前段階の行為であることを前提に置き、全農林事件判決が「あおりの企て」について、違法行為発生の危険性が具体的に生じたと認められる状態に達したものをいう旨判示していることを根拠として、「あおり」が成立するためには、右と同程度以上に違法行為発生の危険性が具体的に生じた場合でなければならないと解し、その行為があれば必然的にストライキなどが実行に着手されるであろうといえるような、あるいは、その行為なくしてはストライキ実行が困難となるような意味で、ストライキなどの実行を招来する危険性が高度な行為であることが必要である旨述べている点には、にわかに賛同することができない。すなわち、「あおりを企て」その企てどおり「あおり」をするような場合には、「あおりの企て」が「あおり」の前段階の行為であることはいうまでもないことであり、企てた内容が「あおり」によって外に表われ、違法行為発生の危険性がより具体化することが多いと思われるが、同一の違法行為のための「あおり」をした後に、更に別の角度からの「あおり」を企てるような場合のことを考えると、右のようにいうことはできないうえに、地公法六一条四号が「あおり」と「あおりの企て」とを同列の犯罪類型とし同一の刑を定めていることからも、原判決がいうような差等を設けることはできないからである。全農林事件判決よりも後に言い渡された岩教組事件の判決も、違法行為発生の危険性の程度につき、「あおり」と「あおりの企て」との間に、原判決が述べるような差等を設けているものとは解されない。
また所論は、原判決が本件「あおりの企て」の成否を論ずるに当たって、「あおり」の原動力性につき言及しているのは、実質的にみて、「あおり」等の一般的成立要件の中に、これらの行為が持つ機能、効果、ないしはこれらの行為に対する処罰理由を持ち込むものであって不当である旨主張する。
しかし、具体的事件につき「あおり」等の成否を論ずるに当たり、判断の基礎となる諸事情の一つとして、その行為が争議行為の原動力をなしているか否かを検討することが全く許されないとする筋合いはなく、原判決もそのような意味で、右の原動力性に言及しているものと認められるから、右主張は失当である。
更に所論は原判決が「あおり」の一般的定義にいう「勢いのある刺激」を解釈するに当たり、実質的にみて、組織的統制力なる概念を「あおり」の一般的成立要件としているのは不当である旨主張する。
しかし、原判決が、いわゆる組織的統制力を「あおり」の全般に通ずる一般的成立要件と解釈しているものでないことは、その判文に徴して明らかであり、また具体的事件につき「あおり」等の成否を判断するに当たり、考慮すべき諸事情の一つとして、原判決のいう組織的統制力の存否を検討することが全く許されない筋合いのものでないことは前同様である。右主張も当を得ない。
なお、原判決が所論のいう通常随伴行為不可罰論に立つものでないことは、原判決がこれを否定した全農林事件判決に依拠する解釈をとっていることからも明らかである。
3 本件「あおりの企て」の成否について
埼教組第一三〇回中央委員会において、傘下組合員をして同盟罷業を行わせる旨の決定がなされたとはいえないことは、前述したとおりであるので、同委員会において、公訴事実にいう同盟罷業実施体制確立のための具体的行動を決定したことが、「あおりの企て」に当たるか否かのみが本件の争点となる。右具体的行動の内容は前述したとおりであるが、所論は、これらの具体的行動を決定し、傘下組合員に伝達することが「あおり」であるから、伝達を予定して右の決定をなすことは「あおりの企て」に当たり、かつ、右具体的行動のうち、校区内対話集会及び全県一斉職場集会の開催は、これらの場において、組合員に対する「あおり」を行うことを予定したものであるから、それらの開催を決定すること自体も「あおりの企て」に当たるのに、これらのことを認めなかった原判決は、「あおり」等に関する法令の適用をも誤っている旨主張する。順次考察する。
(一) 校区内対話集会の開催について
前記の議案書によると、その具体的内容は、「前回決定している春休み中の分会登校日にあわせて、校区内対話集会を企画してストに対する理解を深めるようにします。」というものである
関係証拠によると、右集会は組合員が、その勤務する学校区域内の父兄を対象に、ストライキの意義を訴え、これに対する理解を深めてもらうことを目的として開催するものであって、組合員を対象に開催するものでないことが明らかである。所論のように、右集会に参加した組合員が、これによってストライキの意義についての理解をますます深める可能性があったとしても、それはあくまでその開催の副次的、付随的効果であるに過ぎない。すなわち、右集会は、傘下の組合員に対し、違法行為を遂行させる目的をもって開催されるものではないというべきであるから、その開催の決定を傘下組合員に伝達することが「あおり」に当たるものとは認められないし、また傘下組合員に対する伝達を予定して、その決定をすることが「あおりの企て」に当たるものとも認められない。
(二) 職場集会の開催について
前記議案書によると、その具体的内容は「四月三日、全県一斉職場集会として、四月一〇日に予定しているストについての対策会議を行います。」というものである。
前述したように、右集会は、全県一斉の形ではなく、各地の実情に応じた形で開催するものに変容しているが、同集会の開催が全県一斉のものであれば、県下全組合員の結束を示すものとして、ストの気勢を盛り上げ、これによって、傘下組合員にスト参加の決意を生じさせ、または既に生じているスト参加の決意を助長するような勢いのある刺激を与えることにもなり得ようが、その開催が各地ばらばらというのでは、右の気勢は必ずしも盛り上がらず、傘下組合員に対して、右の勢いのある刺激を与えることになるものとはにわかに断じ難い。のみならず、右集会で検討が予定されている内容も、同議案書によると、「行動のとり方、通告の日時方法、父母への対策など」という甚だ抽象的なものであって、組合員にストへの参加を説得しょうようし、違法行為を遂行させる目的を持つ性質のものであるか否か判然としない。従って、その開催の決定を傘下組合員に伝達することが「あおり」に当たるものとは必ずしも認定できないし、また傘下組合員に対する伝達を予定して、その決定をすることが「あおりの企て」に当たるとも断じ難い。
(三) 早朝集会への参加について
前記議案書によると、その具体的内容は、「四月一〇日のストライキについては次のようにとりくみます。①スト参加者をふくめて全員早朝集会に参加します。②カット時間は二時間で、実質勤務時間開始後、一時間五〇分から一時間五九分までとします。③集会の要領については、前回一二・四と同様にします。(以下略)」というもので、右の四月一〇日は同月一三日に改められ、同日実施予定の第二波早朝二時間ストに関するものであることが明らかである。
ところで、原判決も述べているように、埼教組においては、早朝一時間程度のストライキは例年のように行ってきており、前年昭和四八年四月一七日には午前半日ストも行っていたもので、現に右早朝集会の要領も、同年一二月四日と同様にするとされていたのである。このような実情に徴すると、右議案書にあるような内容を傘下の組合員に伝達することが、直ちに右組合員にスト参加の決意を生じさせ、または既に生じているスト参加の決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることになるものとはにわかに断じ難く、従って、その伝達を予定して同議案書どおりの決定をすることが「あおりの企て」に当たるものとは認められない。
(四) 戦術会議の開催及び連絡網体制の確立について
前記議案書によると、その具体的内容は「ストが戦術である以上前日から十分連絡網体制を確立して中央の動きに対応できるように対処します。四月一五〜一七日(三月二九時に変更)本部は戦術会議をひらき、一日ストに対する確認会議を行います。とくにここでは、一日ストの行動のとり方について意思統一を行いますが、こんどの場合は全一日であることから、連絡網と待機の一日としてはじめから充実した計画を考えます。」というものである。
しかし、右の連絡網体制といい、一日ストに対する確認といい、あるいは充実した計画等といっても、全一日ストについて、それ程具体的なことを決めているわけのものではなく、これらのことが傘下組合員に伝達されたとしても、直ちに右スト発生の具体的危険性を生じせしめるものであるとはいえない。従って、右の伝達を予定して、そのような事項を決定することが、「あおりの企て」に当たるものとは認められない。
本件公訴事実に掲げられた具体的行動なるものは、以上のごときものであって、これらを個々的にみても、また総合的にみても、その行動をとる旨決定することが、いまだ「あおりの企て」に当たるものとは解し難い。もっとも、所論は、右具体的行動の決定が、いわゆる三・二九指令の伝達の準備行為となる点からみても、「あおりの企て」に当たると主張し、右決定につきこのような意味での「あおりの企て」を認めなかった原判決を論難しているけれども、このような主張は、原審第一回公判期日から一〇年近くもたった第九六回公判期日における論告に、突如として現われた主張であって、冒頭陳述や釈明の内容、及び審理の経過等に照らしてみても、同決定がそのような形で審判の対象になっていたものとは到底認められず、右論難は失当というほかない。また所論は、前記榎本発言が「あおりの企て」に当たることを認めなかった原判決は不当であるとも主張するが、そもそも同発言それ自体が「あおりの企て」になるとして起訴されたものでないことは、本件公訴事実の記載に徴して明らかであるから、右主張の当否については判断の限りではない。
4 結語
以上に説示したところから明らかなように、原判決が本件について「あおりの企て」を認めなかったのは正当であり、前述した一部の事実誤認及び法令解釈の誤りもいまだ判決に影響を及ぼすものではない。各論旨は理由がない。
二控訴趣意第三(量刑不当の主張)について
所論は要するに、被告人を罰金一〇万円に処した原判決の量刑が軽きに失して不当であり、被告人に対して懲役刑を科するのが相当である、というのである。
よって検討するに、日教組は春闘共闘、公務員共闘の統一闘争として、七四春闘において、「賃金の大幅引き上げ、五段階賃金粉砕」「スト権奪還、処分阻止・撤回」「インフレ阻止、年金・教育をはじめ国民的諸課題」の三大要求の実現を目的としながらも、賃金問題については、当時人事院勧告制度が種々の制約下にありながら本来の機能を果たしていたと認められるのに、「人勧体制打破、労使交渉による賃金決定」のスローガンを掲げ、賃金を人事院勧告によらず、労使の交渉によって決定する方式へ移行させることを究極の目標に、それに至る一つの過程として、ストを背景に政労交渉の場を設定し、政府からいわゆる有額回答なるものを引き出して、これを人事院勧告に反映させることを目的とし、かつ、スト権問題については、その結着をつける糸口を得るため、本件ストを実施したものであって、このような経緯にかんがみると、本件ストが少なからず政治的色彩を帯びるものであったことは否定できない。
また、いわゆるスケジュールストの概念は必ずしも明確ではないが、日教組が昭和四八年七月の第四三回定期大会において、早くも一日ストの方針を掲げ、七四春闘について政府側との本格的交渉に入るかなり以前から、右方針を着々と具体化し、民間労使とも歩調をあわせつつ、官民一体のゼネストの実現を目指して、本件ストライキを実施したのも事実である。
更に、右定期大会の議案書(符59)にたたかいの重点の一つとして、「時代の流れに逆行する最高裁四・二五反動判決を粉砕する。」とある点からみても、本件ストが右判決(全農林事件判決)にあえて挑戦するものであったと非難されてもやむを得ないであろう。
被告人は日教組の方針を支持する埼教組の中央執行委員長ないしは中央闘争委員長として、傘下の組合員をあおって、多数の者を本件ストに参加させ、教育環境に好ましくない影響を及ぼしたものであって、その刑事責任は決して軽いとはいえない。
しかしながら、他面において、次のような諸事情も十分に参酌されるべきものと考える。
すなわち、昭和四八年秋ころから激化した異常インフレが、たちまち実質賃金の目減りを来たし、また物資の不足が教育現場にも波及して、用紙不足などの事態をも招来し、組合員にスト参加への気運を盛り上げる誘因となったこと、人事院勧告が完全に実施されるようになった背景には、ストを構えての公務員組合の強い交渉があり、ストなくしては右の完全実施が期待できないという時期が長らく続いたこと、スト権問題の結着をつけるといっても、決してスト禁止法制の即時撤廃を要求するものではなく、差し当たっては、過去のストライキによる不利益処分の撤回、実損の回復といった面に重点が置かれていたこと、本件ストライキが単純な労務の不提供にとどまり、もとより暴力的な事態を伴わない平和的なストライキであったこと、被告人の行為の内容がスト指令の発出に直接に関与したものではなく、その下部への伝達を主とするもので、しかもこれを実務的に主導したのは、副委員長ないしは書記長の榎本昇一であったこと、本件ストに参加した数多くの県教組の委員長中、起訴されたのは被告人を含む三人に過ぎないことなどの諸事情がこれである。
そして、被告人の経歴及び委員長就任のいきさつ、更には本件から既に十有余年の長年月が経過していることなどをも考え併せると、原判決が被告人に対して懲役刑を科さず、罰金刑の最高額を科するにとどめたその量刑が、軽きに失して不当であるとは認められない。従って、論旨は理由がない。
第三結論
よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、同法一八一条一項本文により、当審における訴訟費用の全部を被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官坂本武志 裁判官田村承三 裁判官本郷元は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官坂本武志)